松代藩第六代藩主 真田幸弘(菊貫)の文藝

俳諧一枚摺

魅力と意義

俳諧一枚摺の魅力は、何よりもその句と画が相俟って醸し出す、独自の雰囲気にあるといえよう。

狂歌摺物との違い

狂歌摺物の画者の大部分は著名な浮世絵師たちであり、そのほとんどは多色摺の高い技術に裏打ちされた美しい作品である。しかし、制作された期間は、俳諧一枚摺に比べてかなり短く、天明期(1781~1789)から天保期(1830~1844)に至る約五、60年程度の期間であった。また、狂歌の連は江戸を中心としたものであり、浮世絵師が活躍したのも江戸であることから、ほとんどが江戸で制作されたと考えられ、地域的にも限定されたものであった。
これに対し、俳諧一枚摺の画者は、素人画家から各派の職業画師までいろいろであるし、また、墨摺や二、三色摺のものから、狂歌摺物と同様の高度な多色摺が施されたものまで、これもいろいろなレベルの作品がある。制作された期間は約240年もの長きにわたり、制作された地域も日本全国に広がっている。この時間的・空間的広がりが、資料体としての俳諧一枚摺の特徴である。

多色摺印刷発達の立役者

俳諧では絵暦や錦絵に先駆けて多色摺が試みられていた。とすれば、俳諧享受者の嗜好に答える形で日本の多色摺印刷が始まり、それがやがて絵暦や錦絵、狂歌摺物へと発展していった、と考えることが可能である。すなわち、海外でも人気の高い江戸時代の多色摺版画の源流は俳諧一枚摺にあったということであり、傑出した錦絵や狂歌摺物をベースの部分で支えていたのは全国的な広がりを見せた俳諧一枚摺であったというわけである。

総合文化芸術

俳諧一枚摺で画と句が融合された世界を見てゆくと、今までのテキスト(発句・連句・俳文)中心の研究のあり方からは見落とされていた「俳諧」の新しい魅力が発見できるように思う。また、その裾野の広さを考えてみれば、これはたんに俳諧史という一ジャンルの問題ではなく、今後一つの文化現象として多角的な研究の対象とされるべき資料であると言ってよいだろう。