松代藩第六代藩主 真田幸弘(菊貫)の文藝

紀行

『青葉蔭』『湘南絵巻』

『青葉蔭』序文

『青葉蔭』序文

文化9年(1812)夏の真田幸弘(73歳)の湘南・箱根遊覧の短歌と俳句入り紀行。冊子『青葉蔭』の他に巻子本『青葉蔭』(甲・乙、二巻)があり、このもとになった『湘南絵巻』(巻子、一巻)も伝来している。
青葉蔭絵巻冊子は写本一冊(筆者・成立年未詳)。巻子本『湘南絵巻』は、菊貫の自画十三枚に自筆の発句十四句、和歌二首から成る。自跋に「文化九年壬申卯花月」とあるので旅の終了直後に作られたものだろう。『青葉蔭』(巻子本甲・乙)は、この『湘南絵巻』をもとにして、二巻に分割し、画を小野正応に、句を箕田牛山に清書させて成立したもの。画の構図、発句と和歌は同じだが、配列には若干の相違がある。甲巻には「文化壬申七月乙亥」の鎌原重賢序と岩下清酒の跋(年季無)があり、乙巻には鎌原重賢の「八月上弦」の跋があるから、この順番で成立したことになる。

『青葉蔭』首途(かどで)の句「山川もみかるき旅の袷かな」

『青葉蔭』首途(かどで)の句「山川もみかるき旅の袷かな」

『湘南絵巻』の自跋で「致仕して爰に十五年」と述べる通り、幸弘は、寛政10年(1798)五九歳で致仕していた。旅をした文化9年は、寛政10年から数えで15年目にあたる。隠居後の老境の旅ではあったが、幕府への願い出が必要であり、「文化九年壬申年四月七日、相州塔澤温泉江湯治仕度旨同氏弾正忠願之通被仰符候」(『真田家文書』米山一政編輯・長野市発行 昭和57年11月)所収「真田家系譜」の幸弘の項)と許可を得ての旅であった。
文化9年4月14日、幸弘と江戸座の俳人立志・陸馬、また家臣の花足こと岩下清酒(佐源太)等一行は、江戸を出発、鎌倉・江ノ島・大礒・小田原などを遊覧しつつ箱根に到り、数日の滞在の後、同27日、江戸に帰着した。途中、鴨立庵の葛三を訪れたり、家臣や同行者と戯れたり、見物した網引きにかかった魚の名前を書き留めたり、物乞いの囃子詞を記録したり、自分と同じ年の漁師と出会って自らの人生を振り返るなど、まことに興味深い紀行である。

青葉蔭 湘南絵巻
鶴岡八幡宮/和歌「夏なから雪のした道ふみわけてふりむかしのあとや尋ねむ」発句「鶴か岡千歳に旅のあふきかな」
江の島/「蓬莱の苔さく巌や金亀山」
鴫立庵/「かほ鳥やここ西行の夢の跡」

真田宝物館ホームページで図録資料の閲覧が可能です。展示図録『大名の旅 松代藩の参勤交代』『文人大名 真田幸弘とその時代』等御参照ください。

http://www.sanadahoumotsukan.com/guide/book.php?g=3