松代藩第六代藩主 真田幸弘(菊貫)の文藝

真田幸弘について

松代藩真田家

父:真田信安

真田信弘の4男。第5代松代藩主。兄幸詮の早逝により、嫡子となり元文2年(1737)家督相続。家臣の不正等により財政悪化、宝暦元年(1751)百姓一揆発生(田村騒動)。宝暦2年(1752)39歳で長男幸弘に家督相続。同年死去。39歳。俳諧をたしなみ、俳号露傘・落葉庵。『高点御書留』天の巻が真田宝物館に伝来し、『同』地の巻が国文学研究資料館寄託資料となっている。

『信安高点御書留』帙と表紙

『信安高点御書留』帙と表紙

『信安高点御書留』本文1丁表

『信安高点御書留』本文1丁表

養子:真田幸専【ゆきたか】

真田幸専【ゆきたか】

松代藩第7代藩主。彦根藩主井伊直幸四男。正室は真田幸弘の娘三千姫。天明5年(1785)幸弘の養子。寛政10年(1798)幸弘隠居により家督相続。男子に恵まれず、松平定信次男幸貫を養嗣子とする。文政6年(1823)家督を譲り致仕。文政11年(1828)死去。59歳。和歌をよくし、歌集に『大暁院詠歌集』がある。

養子:真田幸貫【ゆきつら】

真田幸貫【ゆきつら】

松代藩第8代藩主。白河藩松平定信次男。正室は、遠江藩主井上正甫娘正姫(幸弘孫)。
幸弘は、嫡子のいない幸専の後継者として松平定信次男幸栄を孫娘雅姫の夫として真田家の養子に迎えることを考え、文化12年(1815)養子縁組成立、名を幸貫と改める。雅姫は、遠江藩第3代藩主井上に嫁いでいた幸弘娘峯姫の遺児である。致仕後の松平定信が井上家と真田家を仲立ちして養子縁組に口添えした経緯が定信の『花月日記』に書かれている。文人定信の息子だけあり、書画を良くし、和歌・漢詩にすぐれていた。幸弘が着手した藩政改革がさらに枝葉を広げ、幕藩体制の危機下にあって、富国強兵、殖産興業、文武学校開校、佐久間象山抜擢などの事業を成し遂げた。
真田宝物館には多数の幸貫の書画が伝来し、幸貫が母から返礼の品として下賜されたという定信書写の『源氏物語』全巻も伝来する。
嘉永5年(1852)死去。62歳。

真田家歴代肖像画

真田家歴代肖像画