松代藩第六代藩主 真田幸弘(菊貫)の文藝

真田幸弘について

真田幸弘について

本サイトでは松代藩第6代藩主真田幸弘に関する文藝資料を多角的に紹介しつつ、主として700巻を超える点取俳諧集を逐次翻刻紹介していくことを目的としている。

真田幸弘略年譜

  • 元文5年(1740)1月21日  誕生
  • 宝暦2年(1752)13歳  家督を継ぐ
  • 宝暦10年(1760)21歳  結婚(松平越中守定賢女)
  • 天明元年(1781)5月 42歳  幸豊から幸弘に名を改める
  • 寛政10年(1798)8月21日 59歳  養子の幸専(彦根藩主井伊直幸四男)に家督を譲り隠居
  • 文化12年(1815)8月3日  76歳没

幸弘の肖像

真田家の菩提寺長国寺(長野市松代)所蔵。長国寺は天文16年(1547)真田幸隆開基の曹洞宗の禅寺。
初代信之、第3代幸道、第4代信弘の霊屋が現存し、信之の霊屋は国の重要文化財。歴代藩主の墓や供養塔や家臣の墓もある。

虎頭の幸弘像として真田宝物館に伝来。成立年未詳。幸弘は申年生まれ。
干支を時計の文字盤のように円形に配置すると、申は8時の位置、寅はその対角線上、2時の位置に配置される。出生の干支に対して対角線上の干支(6つ離れた干支)を向かい干支(逆さ干支)と称し、自分の不足を補ってくれる縁起の良い干支と考える風習があった。