松代藩第六代藩主 真田幸弘(菊貫)の文藝

賀集

『ともづる』について

松平定信が老中首座になった年、天明7年(1787)正月、松代の海津城の天守閣に番の鶴が飛来し7日間とどまり、城内は瑞祥として喜んだ。これを寿ぎ、編集したのが賀集『ともづる』上下二冊である。この歌集に定信が寄せた和歌が、下巻の巻頭に掲げられている。

かさねきて幾世経ぬらむ常盤なる松しろたへのつるの毛ころも

詞書もなく、もとより儀礼的なものともいえるが、この下巻の巻頭につなぐかたちで、上巻末には次のような幸弘の和歌がある。

田鶴のすむ千とせの松にもろ人のいやことの葉のみとりをそそふ

この歌には、双鶴飛来を寿ぐ長い詞書に続いている。さらにはこの祝賀集の冒頭には幸弘が日野資枝に入門する仲立ちをしたおゆかの長文の巻頭言が寄せられている。ゆかと定信が詞・和歌を寄せている賀集はこの『ともづる』だけである。この後、幸弘と定信は揃って従五位下から従四位下に昇任しているから、「田鶴のすむ」の歌は幸弘にとってこの世の春に詠まれた歌である。