松代藩第六代藩主 真田幸弘(菊貫)の文藝

紀行

『旅つづら』

宝暦12年(1762)秋の真田幸弘(23歳―当時は幸豊)の参勤交代の旅の句入り紀行。写本1冊(筆者未詳)。自序(年季無)。自跋(「たからの暦壬午中秋 攀月観菊貫 [印]」)。

『旅つづら』に拠れば、宝暦12年8月上旬頃、江戸の真田藩邸(上屋敷=麻布谷町、中屋敷=麻布長坂のいずれか)を出発した菊貫一行は、途中高田馬場で休息した後、中山道をすすみ、追分で北国脇往還(北国街道)に入り、矢代(屋代)から松代道に入り、中秋(8月15日)頃に帰郷した。交代の旅の事実は、8月19日江戸出発、同8月24日松代帰着であったらしいから、文藝作品としてこの紀行が書かれたことになる。
この前年、菊貫が通過した北国街道の道筋にあたる上田城下では、金納値段引き下げ、年貢増徴反対、諸運上金廃止などを求めて城下へ強訴した後、領内各地の特権商人・割番庄屋などを打ち壊し、その主要な要求を藩に認めさせた「上田騒動と呼ばれる大一揆が発生した。菊貫がこうした時代状況をどう受け止めたか興味深いが、『旅つゞら』では、まったくふれていない。むしろ自序で「俳諧の悠遠なるが中に、此の葛籠のふところ狭きをもて風雅とはいはむも、面赤き事にぞあらん歟」と述べるように、政治とは切り離して俳諧の風雅に遊ぼうとする明確な姿勢がここからもうかがえる。
本書は、菊貫のもっとも早い時期の俳諧資料としてばかりが、商家や遊郭など街道の情景を描いた大名の旅の句入り日記としても貴重である。

20丁裏~21丁表/碓氷峠から坂本宿/発句「坂本の宿や朝霧夕煙」「稲苅のおしえ尊し木々の色」「山道のせめてすさみや秋の草」

20丁裏~21丁表/碓氷峠から坂本宿/発句「坂本の宿や朝霧夕煙」「稲苅のおしえ尊し木々の色」「山道のせめてすさみや秋の草」

42丁裏43丁表/古戦場から松代城下へ/発句「古戦場へ片向く雁のそなへかな」「秋の樹々千曲に朱を流しけり」

42丁裏43丁表/古戦場から松代城下へ/発句「古戦場へ片向く雁のそなへかな」「秋の樹々千曲に朱を流しけり」

48丁表「たからの暦壬午仲秋攀月観菊貫」(宝暦12年1762)

48丁表「たからの暦壬午仲秋攀月観菊貫」(宝暦12年1762)

真田宝物館ホームページで図録資料の閲覧が可能です。展示図録『大名の旅 松代藩の参勤交代』『文人大名 真田幸弘とその時代』等御参照ください。

http://www.sanadahoumotsukan.com/guide/book.php?g=3