2014年8月14日 [ お知らせ ]
真田幸弘公は文化12年(1815)8月3日に亡くなりました。
江戸時代の太陰暦(当時は天保暦・旧暦を使用)を太陽暦であるグレゴリウス暦に変換すると8月3日は9月5日に相当します
二百回忌に相当する今年9月、幸弘公の遺徳を偲び、真田家菩提寺長国寺(長野市松代町)に追善の俳諧連歌が奉納されます。
幸弘公は俳諧の弟子・松代藩士寺内多宮(俳号・立左りゅうさ)に松濤軒という号を与えていまが、松濤軒の号は、明治、大正、昭和を経て現在に至るまで継承されています。松濤軒5世小林静司氏(都心連句会)が追善奉納俳諧を主宰されます。
松平定信(真田幸弘の甥)『花月日記』には幸弘の臨終のようすが詳細に記述されています。