松代藩第六代藩主 真田幸弘(菊貫)の文藝

真田幸弘について

和歌

国文学研究資料館所蔵「真田家文書」の資料に『幸弘公御自詠 岡部衛士加茂真淵点』4冊が伝来する。大谷俊太氏の考証によると、宝暦3年(1753)幸弘13歳の時に当時57歳だった賀茂真淵に和歌の添削指導を受けていたのではないかという。幸弘の四十賀、五十賀の算賀集には、石野広通、加藤千蔭の詠が見られる。
また、上記「真田家文書」には「和歌入門誓詞案」が伝来し、寛政5年(1793)53歳で、堂上歌人である日野資枝【ひのすけき】に歌道入門していることがわかる。この歌道入門を記念して祝賀集『はしだて』が編纂されている。巻頭の幸弘歌には「とし頃おもひわたりて、此度二条の門に入ぬるよろこびのこゝろを、つたなき言の葉にのばへ侍れば云々」という詞書が添えられている。日野資枝(元文2年1737-享和元年1801)は、従一位権大納言で宮廷歌壇の重鎮。『歌合目録』『詠歌一体抄』などの著作があり、柳沢信鴻晩年の点取和歌指導も行っていたことが信鴻の『松鶴日記』に記される。

さらに真田宝物館には、日野資枝が「おゆか(遊歌)」なる人物に宛てた書状や「ゆか」を仲立ちとして日野資枝が点を引いたと思われる歌稿が伝来する。
「ゆか」という人物の詳細は不明であるが、祝賀集『ともづる』には長文の序を寄せ、『ともづる』付本には「浅草境内御出入」と記される。七十の賀の到来控えには、「ゆか」が二五包もの短冊を取り次ぎ、その返礼の御寿餅を取り次いだという記録がある。

 

*参考
井上敏幸 伊藤義隆 勝野寛美 玉城司 佐伯由紀子 豊田千明「翻字・真田幸弘祝賀集『むらたけ』『ともづる』『はしだて』」(『松代』第20号)
→宝物館HPへジャンプhttp://www.sanadahoumotsukan.com/guide/book.php?g=4