松代藩第六代藩主 真田幸弘(菊貫)の文藝

真田幸弘について

大名

大和郡山藩第2代藩主柳沢信鴻(俳号米翁・月村所)

幸弘の叔母が信鴻に嫁しており、叔父と甥の関係。信鴻は漢詩和歌俳諧に秀でた文人大名として有名。致仕後の日記『宴遊日記』『松鶴日記』には、多くの文人大名・俳諧宗匠・役者等との交遊関係を詳細に記す。幸弘も、安永2年~天明2年頃、頻繁に日記に登場し、句の添削指導の依頼、点帖の回覧、俳諧一枚摺のやり取りの記述が散見する。『菊畠』にも米翁と同座している巻が多数ある。信鴻長男で第3代藩主柳沢保光(俳号米徳)も幸弘算賀集に句を寄せたり、句会で一座したりしている。

 

老中筆頭(陸奥国白河藩第3代藩主)

定信祖父である白河藩第1代藩主松平定賢の娘を幸弘が正室に迎えたので、幸弘は定信の叔父に相当する。また、定信次男は、幸弘の孫娘を正室に迎え、第8代松代藩主となっている。俳諧を通しての交遊はなかったが、幸弘の六十、七十の算賀集『千とせの寿詞』、祝賀集『ともづる』には定信の詠出があり、また、幸弘の和歌遺稿集には、定信幸弘の贈答歌が掲載される。定信の致仕後の日記『花月日記』には、晩年の幸弘夫妻が頻繁に定信所有の屋敷浴恩園を訪問している様子が記される。

 

多くの俳人大名との交遊

幸弘は、50人以上の大名と主として南部坂の松代藩下屋敷において百韻の興行を行っている。このほかに、他大名主催の興行にも一座していた。熊本藩第8代藩主細川重賢(俳号華裏雨)の安永6年12月5日興行の百韻を記録した点取俳諧書に「菊貫」の名がみえる(出水叢書12『俳諧集』汲古書院、参照)。
算賀集・祝賀集に句を寄せたり、『菊畠』等点取俳諧書で幸弘と一座したりしている大名俳人一覧は別表の通り。

 *参考

 ◆真田宝物館 図録『文人大名 真田幸弘とその時代』

  http://www.sanadahoumotsukan.com/guide/book.php?g=3

 ◆伊藤義隆「真田幸弘と大名俳諧」(『文人大名真田幸弘とその時代』所載) 

 ◆平林香織「松代藩主・真田幸弘の文芸活動―和歌と俳諧―」(錦仁編『中世詩歌の本質と展 

   開』竹林舎)