松代藩第六代藩主 真田幸弘(菊貫)の文藝

点取俳諧集

松友雅詠

『松友雅詠』表紙

『松友雅詠』表紙

表紙見返し松鶴図

表紙見返し松鶴図

常陸国土浦藩第四代藩主土屋の母(佐藤長右衛門の娘か)の70歳を祝う祝賀集。序・跋に拠れば、本書は天明2年(1783)成立、当時の藩主は6代の泰直。泰直の命によってこの賀集が編まれ出版されたとみて良い。
本書は菊花と「壽」文字箔押しの奉書紙をもちいた多色摺の贅沢な大本で、二つ目綴じ。堂々たる大名の書物である。本書は土浦藩あげての祝賀集であり、大名が関係して出版した集のなかでも、特筆すべき豪華本、真田幸弘の交流の一端を知る上でもたいへん貴重である。

序文について

序を記した関脩齢は、井上蘭台門の儒者。享保12年(1727)に生まれ享和元年(1801)没。75歳。文化12年刊『江戸当時諸家人名録』には「松牕 名脩齢、字君長又号楼 虎御門 関英一郎」と登載。『論語略説』」『国語略説』『韓館贈答集』などの著作がある。
序文を清書した関其寧は、書家。享保18年に生まれ寛政12年(1801)没。六八歳。土浦藩の書家関思恭に書を学び、その養子となり、養父の跡を継いだ。字は子永、通称は源蔵、号は南楼。

跋文について

跋の上原毅は未詳。

画師について

4句目が菊貫賀句

4句目が菊貫賀句

裏表紙見返し緑毛亀図

裏表紙見返し緑毛亀図

表紙と見返しを飾る画師・歌川豊春は、享保20年(1735)生まれ、文化年11年(1814)没。八十歳。浮世絵師。歌川派の祖。遠近法を研究して、自らの画に応用したという。
裏表紙見返しの画師・湖龍齋は、生没年不詳。 浮世絵師。俗称礒田庄兵衛、名は正勝。江戸小川町の旗本土屋家の浪人という。往来物の挿絵から美人画まで手掛けているが、未詳な部分が多い画師である。
十九丁表・裏の鶴と松の挿絵を描く桐鳥は、生没年未詳。「天明四年及び同八年の絵暦美人画あり。画風豊春に似たり」「(井上和雄『浮世絵師伝』)というが、表紙巻頭見返しの画風と酷似しており、豊春の別号であるように思われる。

内容

序文(漢文)に続いて、祝賀歌(短歌)が200首弱、発句が90句弱、この後にさらに和歌2首と漢詩9首、跋(漢文)で本書は構成されている。

作者

祝賀の和歌を寄せている筆頭の泰直は、先述した通り土浦藩六代藩主。これに続く英直は七代藩主。以下、芳子、かね子、致直など妻子や家臣と思しき人々の祝賀歌が続く。
発句作者は、秀井・錦衣・長梧など大名俳人に続き菊貫―松代藩第六代藩主真田幸弘等。の発句を掲載する。他に、菊峩・菊芳など幸弘の身辺にいたと思しき点者、家臣・御側役の杉羽(馬場広人)等の賀句が入集する。また、左簾・寶馬・津富・秀国など幸弘の点取俳諧でもなじみの江戸座の宗匠たちも賀句を寄せている。
漢詩作者は、序者の關脩齢ほか、關黙成、田信善、秦高行、與住誼、本孝黼、山思敬、橋鮮、原毅の九人が祝の七言絶句や七言律詩を贈っている。關黙成と山思敬は、土浦藩儒の関氏一族、他はその門弟たちかで土浦藩の家臣たちかと思われる。なお、原毅は跋文を書いている「上原毅」と同じ人だと思われるが、判明しない。土屋家と関係する漢詩人であろうか。江湖の教えを請い願う。

真田家と土屋家

点取俳諧集5冊を収める帙。「天真院(幸弘法号)様御筆」と書かれている。

点取俳諧集5冊を収める帙。「天真院(幸弘法号)様御筆」と書かれている。

本書が真田宝物館に襲蔵されたのは、幸弘―菊貫の賀句「若葉/\皆千とせ経ん松の友」が入集するからであり、真田家と土浦家が親しい関係にあったことうかがわれる。ちなみに寛政十一年(1799)に成った幸弘六十歳の算賀集『千とせの壽詞』には、土浦藩の第七代藩主土屋英直が、祝賀の和歌を送っているなど、両家の関係はその後も良好であったことが確認できる。

翻刻

玉城司による書誌・翻刻を松代文化財等管理事務所(真田宝物館)2012年9月5日~12月3日企画展「文人大名 真田幸弘とその時代」図録に記載。なお、真田宝物館ホームページで図録全文閲覧可能。http://www.sanadahoumotsukan.com/guide/book.php?g=3